河合隼雄さんの心理療法も意識しながらプラユキさんを読み進めてみたいです

先日ブログに、プラユキ・ナラテボーさんのお寺での活動を知って、仏教心理療法の大きな可能性を感じている、ということを書きました。

篠浦伸禎氏との共著「脳と瞑想」(サンガ)にもそのことを感じる記述が多いです。

例えば瞑想と併用することによる心理療法。以下、抜粋です。

「脳のほうから言うと、基本的にゆっくり吐くということは副交感神経を刺激し、なおかつ偏桃体をコントロールできます。偏桃体というのは、刺激されパニックになると過呼吸になるんです。それをゆっくりと深呼吸でコントロールするわけです。」

「「自我」といった場合、親や教師の命令や禁止を内側に組み込み、「○○すべき」「○○してはならない」といった内言で思考化させたフロイト心理学でいうところの「超自我」という概念もありますが、これはここでいう日常的な自我の内に含まれるでしょう。そして先生の言う「司令塔の自我」はこの「超自我」的なものさえも観察、そして調整可能な瞑想的意識のように思われます。」

プラユキさんは夢分析も取り入れていらっしゃいます。

瞑想をする人が増えるのに伴い上座仏教に関する情報も増えて行くと思います

片山一良著「パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ―『大念処経』を読む」(大法輪閣)を読み終わりました。

片山さんは曹洞宗のお坊さんということもあり、大乗仏教や禅の資料も含め解説されていますので、凄まじい術語の数です。

一割も理解できていないかもしれません。術語の理解のためにも数回読んでみるつもりです。

唯識など、他の仏教解説書に出てくる術語とも重なりますので、無駄にはならないと思います。

そもそも私は仏教の知識が圧倒的に不足しているので、理解できないのは仕方がありません。

唯識三十頌の世親(ヴァスバンドゥ)が説一切有部に所属していたときに著したアビダルマ倶舎論と、「『大念処経』を読む」でたびたび相応部の経典が参照されるのですが、その相応部のアビダルマとの関係など、分からないことばかり。

ただ、上座仏教やマインドフルネスなどに関する情報は近年知られるようになったので、分からないことが多いのはしょうがないところもある気がします。

「『大念処経』を読む」にしろ、ティク・ナット・ハンさんやプラユキ・ナラテボーさんの主な著作物にしろ、出版されたのは2000年以降のことですし。

新型コロナウイルスの影響で、心の安定を求める手段の一つとして瞑想をする人は増えると思います。

ライフワークをアマチュアとして楽しんでいられるのは幸せなことだと思います

今は芸能人も自宅に待機されている方が多いようですね。

新型コロナウイルスの問題が起きるまでは、引っ張りだこの人気だった芸人さんたちが、ビデオ会議システムZoomなどを使ってオンライン飲み会をした、というような情報が飛び交っています。

例えばフジテレビ系列の「ボクらの時代」という番組で、大久保佳代子さん、光浦靖子さん、いとうあさこさんという人気者三人が、リモートでトークをされていました。

番組の中で、今は仕事もないから規則正しい生活をしている、というような会話をされているわけです。

このような方たちが家で自粛している状況を見ると、当たり前ですが私たちが家で過ごしている姿とあまり変わりません。

若い頃は、芸能人の世界ってプライベートでも華やかなんだろうな、と憧れていたのですが、そういうわけでもないということが、コロナのせいで分かったりしますね。

昨日ブログに、自分のライフワークが仕事としてうまく行かなくても、好きなことでもあるので、アマチュアとして続けて行きたいと書きました。

一方で、売れている芸能人の方がコロナの影響で自宅待機を余儀なくされ、暇になったと発言されていたりします。

ライフワークはいつもやっていることを含んでいないと続かないと思います

今はどんな職業でも、新型コロナウイルスに多かれ少なかれ影響を受けていると思います。

私も昨日ブログに書いたように大きな影響を受けています。

年を取ったときのために、と考えていたライフワークを今からでも進めていこうと考えています。

ライフワークの内容は、今まで書いてきたように、好きなことでもありいつもやっていることでもあります。

そうじゃないと続かないと思うので。

例えば子供の頃、漫画やアニメの影響でプロ野球選手になりたいと思ったこともありました。

しかしほどなく、野球はあまり上手くないことが分かってプロ野球選手は諦めました。

ただ野球が本当に好きなら、大人になってからも草野球チームに所属したりして楽しんでいるはずです。

音楽もそうですよね。ギターなどあまり上手くないことが分かってミュージシャンは諦めました。

ただ音楽が本当に好きなら、大人になってからもバンドを組んだりして楽しんでいるはずです。

実際に、就職した一流企業を辞めて、アルバイトをしながらアマチュアバンド活動をしている人を知っています。

私が決めたライフワークも、もし仕事としてうまくいかなくても、アマチュアで続けていこうと思っています。

今後は今までの人生でないくらい知恵を出さなければならないと思います

決算が終わったのですが、緊急事態宣言の影響で今季の事業の目途は立っていません。

今日、夏の甲子園大会の中止が決定しましたが、世の中がこのような非常時に私のような極小企業がまともでいられるはずがありません。

ただ、まだ十代とはいえ、人生をかけて甲子園を目指してきた高校球児たちにとって、あまりにも不憫な結果です。

ご家族も全力でサポートされていたと思います。本当に何ともいいようがありません。

インターネットで見たのですが、日本テレビ系の「情報ライブ ミヤネ屋」に出演された梅沢富美男さんが、「自粛自粛で街に人がいない。お店を開けても人が来ない。もうどうにもならない。」と自営業者の思いを代弁していらっしゃったそうです。

最初から暗くなってしまいましたが、嘆いてばかりもいられません。

ここは思い切って、今までとは全く違うことを始めるいい機会ととらえようと思っています。

ワクチンができて、みんなに行きわたるのに二年くらいかかるとしたら、それまでは外出の自粛が続くのではないでしょうか。

そうであれば、今までと同じような仕事ができるのは、それ以降になると考えるしかありません。

違う宗派どうしが影響しあって仏教が活性化しているんじゃないでしょうか

マインドフルネスの情報をインターネットで調べていたら、お坊さんたちが質問者の悩みなどに答える「hasunoha(ハスノハ)」というWebサイトを見つけました。

そのページには「独学で瞑想をしてもいいか」というような質問が。

それに対する回答が、以下のような文章から始まります。

「マインドフルネスのルーツですが仏教にあることは間違いありません。でも、それが日本の座禅なのか、ティクナットハンのマインドフルネスなのか、あるいはテーラワーダのヴィパッサナー瞑想なのか、その辺は混ざり合いがあって、どこにマインドフルネスのルーツがあるのかは、正確にはよくわかっていません。個人的には、ヴィパッサナー瞑想が一番近いかなと感じてます。」

回答された方は浄土宗のお坊さん。文中のティクナットハンさんはベトナムの臨済宗(禅宗)のお坊さん。

同じ質問に、別のお坊さんも回答しています。こちらは曹洞宗(禅宗)の方で、タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)とのこと。

面白いですね。

同じ仏教ではありますが、いろいろな宗派が登場します。

日本テーラワーダ仏教協会が設立されたのは1994年とのことですので、そう古い話ではありません。

プラユキさんのお寺での活動から仏教心理療法の可能性を感じています

プラユキ・ナラテボーさんの「自由に生きる」(サンガ)を読んでいます。

この本ではプラユキさんがなぜ僧侶になられたかや、ご住職を務めるタイのスカトー寺での活動などが紹介されています。

お寺では主に瞑想指導をされていますが、職場の人間関係に悩んだり、うつや不眠といった心に傷を負った日本人を受け入れて、心理療法のようなこともされているようです。

その例として、日本人女性A子さんがどのように心を回復されていったかがつづられています。

「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)を読んだときにも感じたのですが、プラユキさんは抜苦与楽(苦しみを抜き楽を与える)を信条とされるとてもやさしい方です。

テーラワーダのお坊さんなので、ただひたすら解脱のために厳しい修行に励んでいらっしゃるイメージだったのですが。

プラユキさんご自身も最初はそのように思っていらっしゃったそうで、最初に指導を受けたサナーン師という方から、次のような実情を告げられています。

近所の中学校を見て十分な学生生活を送れているか心配になりました

今日夕食の買い出しに行っていたら、中学生と思しき少年三人組がランニングしているのを見かけました。

私服でマスクはしていません。運動部の自主練かな。

スーパーに行く途中に中学校があるのですが、最近は夕方にもかかわらずいつもひっそりとしています。

以前は運動部の学生たちが学校の周りをランニングしていたり、校舎からブラスバンドの演奏が聴こえたりしていました。

先ほどの少年たちは何部でしょうか。

夏の甲子園大会も中止になるようですから、スポーツの大会は軒並み中止でしょう。

吹奏楽の大会はどうなのでしょうか。

ユーフォニアムなんてとても大きいので、自宅に持って帰って練習するなんてことは無理でしょう。

部活だけでなく、今年や来年はプライベートの活動も制限されますよね。

今思い出したのですが、小学生と違って中学生ともなると、私の場合は自分の意思で活動し始めたように記憶しています。

洋楽を聴き始めて、近所の同級生とバンドを組みました。

クイーンやキッスのコンサートに行ったのも中学の頃です。

活動資金が欲しかったので、できる範囲でバイトも経験しました。

芸術作品の創作と瞑想との相性について興味深い指摘がありました

プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんの対談「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)を読んでいたら、最後の方に興味深い指摘がありました。

横尾龍彦さんという画家の方が、五十代に入って精神的な悩みを抱えていたので、禅の山田耕雲老師に参禅修行を願い出たところ、山田老師から「絵が描けなくなるよ」といわれたとのこと。

「それでもいいです」ということで禅をやられたら、実際に描けなくなった、と。

以下、そのことに関する魚川さんの見解の抜粋です。

「「心に生じてくる想念を、価値判断を差し挟まずに観察して、それにはまり込まない」ということは、浮かんでくる創作上のイメージに関しても、それを追いかけて没入するという行為をいったん停止するということです。そういうマインドフルな心のあり方が常態化すれば、創作に際して対象のイメージに人格の全てを集中して、それを展開させるという、ある種の芸術制作には必須の精神的なモードは、起動させにくくなるでしょう。」

横尾さんは「見性(禅における、一種の「悟り」体験)を認められるところまで修行を進めた」そうなので、禅や瞑想をすると誰もが絵を描けなくなるわけではないのだと思います。

カズレーザーさんを見て、子供の頃近所に住んでいた博士ちゃんを思い出しました

今日夕食時にテレビをつけたら、日本テレビ系列で「沸騰ワード10」という番組に、お笑いタレントのカズレーザーさんが出演されていました。

何でも彼は自衛隊愛で有名らしい。

番組では自衛隊の兵器を見るたびに「カッコい〜!」と連呼し、それぞれがどのような機能を持っているか詳しく解説されて行きます。

しかしカズレーザーさんのように、大好きなものに没頭している人の姿を見るのはとてもおもしろいですね。

今回のカズレーザーさんを見ていて、小学校低学年の頃、戦争ごっこをして遊んだことを思い出しました。

近所に異様にドイツ軍やソ連軍の戦車や戦闘機が好きな子がいて、その子のプラモデルを友達数人が手にして、その子の解説のもと戦争の真似事をします。

今でも戦車や戦闘機の名前をうっすらと覚えているのは、当然ながらその子の影響です。

今考えてみると7、8歳の子供が、戦車や戦闘機の名前やその装備などを知っているというのがすごいですよね。

その子以外の子供たちは、その年齢で没頭できるものなどありません。彼からいわれるがまま戦車や戦闘機を動かしていました。

私が音楽に興味を持って、お小遣いを貯めてEPやLPレコードを買い始めるのが小学校の高学年です。