禅の修行でもやってて苦にならないことが修行といえるのか気になっています

数日前、インターネットで川野泰周という禅宗のお坊さんの記事を読みました。

この方は精神科医でもあるようで、「ぷち瞑想習慣」(清流出版)や「ずぼら瞑想」(幻冬舎)のような本も出されています。

何でも「歩きながら」とか「電車の中で」というような、ちょっとした時間でできる瞑想を提唱されています。

ちゃんとした坐禅や瞑想をとても続けられない私にとって、このような記事はありがたいです。

テレビやインターネットなど、現代人は常に情報にさらされていて脳がヒートアップしている状態なので、短時間の瞑想でもとてもいいことだと思っています。

この記事の中でも、仕事の休憩時間にお茶を飲みながら瞑想とか、公園のベンチで昼食を取りながら瞑想というような、気軽にやるためのヒントが書かれていてとても参考になりました。

この記事で印象に残ったのは、家事をしながら瞑想というくだり。

以前より、お寺での毎日の掃除は修行の一つだということは知っていたのですが、坐禅以上に大切なことであり、家事は最高の瞑想と書かれています。

そうなんですか。

実は私は家族の皿洗いを担当しているのですが、全然苦になりません。どちらかというと好きなくらいです。

ということは、私は朝晩修行をして、最高の瞑想をしているということになります。

ただちょっと引っかかるのは、好きなことをやるのは修行になるのでしょうか。

ちゃんとした坐禅とか、多くの人には厳しいと思われるような修行も、好きという感情を持つ人はいると思うんですよね。

その辺のことが説明されているものをまだ見たことがないので、これからそのような記事がないか気を付けていようと思っています。