深層心理

瞑想や易をやるようになって性格が少し落ち着いたように感じています

自粛疲れではないのですが、新しい生活様式を実践していると、やっぱりストレスが溜まって来ます。

ちょっとしたことにムカついたりしたときは、自己嫌悪に陥って、真剣に性格を変えたいと思ってしまいます。

今までエレーヌ・フォックス著「脳科学は人格を変えられるか?」(文藝春秋)のような本も読んでみたのですが、変わったと思ったことはありません。

確かに本を読んで性格が変わるならば、こんな楽なことはないです。

一方で坐禅をすると脳が変化するので、性格を変えることができる・・・というようなことを耳にします。

坐禅については二十代の頃から興味があって、入門書を買ってやってみるのですが、なかなか続きません。

それでもあきらめきれずに、今度は瞑想の入門書を買って、かつハードルも下げて、一日二、三分程度の瞑想のまねごとを続けてみます。

そうすると、一応続けることはできるようになるのですが、効果の程はよく分からない。ましてや脳が変化するようなことは全然感じません。

そうこうしているうちに、マインドフルネスなるものが流行りだして、やってみると確かに心が落ち着きます。

易や唯識やユングへの興味はイメージの活用という共通項から来ています

岡野守也著「仏教とアドラー心理学」(佼成出版社)から、アドラーの心理学の特徴を知りました。

それに伴い、イメージを活用したユングの心理学の特徴も、私の中ではっきりしました。

河合隼雄さんの「ユングと心理療法―心理療法の本〈上〉」(講談社プラスアルファ文庫)に次のような箇所があります。

「たとえば、ずいぶん以前のことであるが、第一回の面接後に、夢の中で見た治療者が異常に大きい耳をしていたことを報告した人があった。

「私は聴いてばかりいると思われたのでしょう」というと、その人は笑いだして、そのとおりですと答えた。当時は、非指示的カウンセリングが流行しており、何も答えてくれないカウンセラーに嫌気がさしたその人は、「分析家なら、もっといろいろいってくれるにちがいない」と思って、筆者のところにきたというのである。」

この例では、患者さんが夢で見た「大きな耳」について、カウンセラーが「私は聴いてばかりいると思ったのでしょう」とイメージを解説した結果、患者さんが心を開いて治療が進展したことを示しています。

ユング派心理療法のこのようなイメージの活用について、私はとてもいい印象を持っています。

人の精神に進化の名残があるというのは面白い考え方だなと思います

今日、ユングの「夢分析論」(みすず書房)を読んでいたら、人間の精神の発達について面白い記述がありました。

以下抜粋します。

「人間の体はそれぞれの背後に長い進化の歴史を備えた器官の博物館である。それとちょうど同じように、私たちは精神のことも歴史抜きに生み出されるものと見なすのではなく、体と同じような方法で組織されているものと推定すべきなのだ。 (中略) まだ動物と類似した心を持っていたアルカイックな人類のもとで始まった、精神の生物学的、先史的、無意識的な発達のことを、私は言っているのだ。この計り知れないほど古い心が、私たちの精神の基盤を形成しているのである。私たちの体の構造が全般的に言って哺乳類の解剖学的構造の上に組み立てられているのとちょうど同じことだ。」

なるほど、そうですよね。

よく人間の体には進化の名残の器官があるって聞きますよね。尾てい骨は尻尾の名残だっていいますし。

人間の器官がそうならば、人間の精神だって進化の名残があってもおかしくはないということですかね。

ムカッとする感情なんて、恐竜が生きていた時代からありそうです。

ユングはこのあと、心理学者は夢や無意識の産物に十分な経験を積むことに加え、神話についても同じような経験を積む必要性を説いています。

沢火革が出たので日頃から気になっていたことを実行宣言してみます

易経を覚えるために、毎日「今日はどのような日になるでしょうか」と占って、解説書で出た卦(か)と爻(こう)を確認しています。

今日出た卦は沢火革(たくかかく)の五爻。革命の卦です。

しかも五爻は「革命は成功する」という大吉の爻辞。

そうですか。

それでは思い切って、今日からある心理的弱点の克服とライフワークに対してある信念を貫くことを、一生続けて行こうと思います(心理的弱点の内容と信念の内容は秘密です)。

前者の心理的弱点に対しては、前々から克服したいと思っていたのですが、思っただけで克服できるならば誰も苦労しません。

最近ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」(野草社)など、自分にはとても効果のある方法を知ったので、これを機に瞑想の力を借りて、何とか心理的弱点を克服したいと思っています。

後者のライフワークは、数年後に軌道に乗せたいと思っていること。

何年もかけてその内容を考えました。なので、ライフワークに対してどのように向き合えばいいかも理解しています。

そして前者の心理的弱点もそうですが、冒頭の易の卦が出なければ、こうやってブログに書くことはありませんでした。

この卦が出なくても、何となくやっていたと思います。

ロボットと生活するようになっても星占いなどの人気は今と変わらない気がします

インターネットを見ていたら、朝日新聞社が運営するwithnewsというwebメディアで「お店のトイレットペーパーを守る! 店主の「おどろおどろしい対策」」という記事を見つけました。

新型コロナウイルスの影響でトイレットペーパーがなくなるというデマが流れて、スーパーなどで品薄状態が続いていますが、記事のお店もストックしているトイレットペーパーが持ち帰られて、困っていたそうです。

そこでお店の方が、「盗罰飢喰」や「厄」などと書かれた呪いの札のような紙を貼り付けたところ、トイレットペーパーがなくならなくなったそう。

人間の祟りや呪いを恐れる性質を利用させてもらった、という趣旨のことをおっしゃっていますが、いいアイデアですよね。

この記事を読んで驚いたのは、「トイレットペーパーがなくならなくなった」というところ。

そもそもお店の備品を勝手に持ち帰るのはいけないことですが、「なくならなくなった」ということは、持ち帰っていた人の100%が祟りや呪いを恐れたってことですかね?

もしそうだとすればすごくないですか。

たまにテレビでスピリチュアル系の番組をやっていますよね。

すきま読書でライフワーク関連書籍を使って勉強することを習慣化してみます

数年後に軌道に乗せたいと考えているライフワークがあって、少しずつその準備をしています。

そのライフワークは幾つかのジャンルの組み合わせなのですが、そのジャンルの中の二つは日々の習慣の中に取り入れています。

しかし、残りの三つほどはそれがないので準備が進みません。

ワーク=仕事として成り立たせるにはまだまだ知識が足りていないので、勉強していかなければならないのですが。

もともと好きなことばかりなので、関連する書籍を読むのは苦にならないのですが、仕事などで疲れたときも必ず読みたいか、といわれるとそれは難しいです。

よく、「本当に好きなことは気が付いたらやっていること」みたいなことを聞きますが、確かにそこまで好きならば、仕事でどんなに疲れていても「つい勉強してしまう」のでしょう。

さすがにそこまでは無理なので、しばらくは試行錯誤するしかありません。

今思い付いたのですが、仕事机の隣にライフワークに関連する書籍を置いて、仕事の合間にさっと手に取れるようにしておきましょう。

うん、いいかもしれない・・・と思っていたら、ネット上に同じようなことを書かれている方々が。

そういうのは「すきま時間の読書」というらしいですね。

ライフワークが決まったり瞑想の効果が大きかったため口ぐせを使わなくなりました

以前はネガティブな思考の癖などを改善するために、口ぐせを利用していたのですが、最近はその口ぐせを使わなくなりました。

それよりも効果的なものを見つけからだと思います。

一つはライフワークが確定したから。これで心がだいぶ安定したのではないかと思います。

もう一つは呼吸の瞑想の効果。自己流のシンプルなやり方なのですが、私にとって効果は大きいです。

日常生活を送っていると、つい嫌なことやムッとすることは起きるのですが、口ぐせを利用していたときと比べてずいぶん少なくなったように感じます。

それ以前はライフワークも検討中で、今後生活していく上で不安だったりしたので、その影響でムッとする頻度は高かったと思います。

それに「息を吸いながら○○、息を吐きながら○○」などと唱えながら呼吸の瞑想をしていると、不安の感情などがかなり抑えられます。

こちらはティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)のおかげです。

先日ブログに、ネットで「選択肢が少ないと幸せを感じる」という記事を見つけたことを書きました。

無駄なモノをつい買ってしまうのは不安の心理とばかりはいえないと思います

今まで無駄なモノや先走ってモノを買ってしまうのは、自分の場合は不安からくる行為だと思っていました。

しかし子供の頃を思い返してみると、例えばデパートのおもちゃ売り場に行ったときに、ミニカーが欲しくなって親にせがんで買ってもらったのは、不安からくる行為とはいえない気がします。

今思えばそのときは、ミニカーがあれば、おもちゃ売り場で感じるワクワク感が家に帰っても持続するような期待感を持ったのではないでしょうか。

ところが家に帰って遊んでみると、ワクワクするのは最初の数時間だけで、そのあとはいつもの日常に戻ってしまいます。

プラモデルなんかもっと分かりやすい。

雑誌やテレビで、大人の人が精密なプラモデルを作っているところを見たりするわけです。

そのときは、なんて楽しそうな生活なんだろう、みたいなことを感じたんじゃないかと思うんです。

ところがこれも、プラモデルを買ってワクワクするのは最初の数時間だけで、小さなパーツを切り離しては接着剤で接着する淡々とした作業に飽きてしまうんですね。

そうこうしているうちに、おもちゃを買う年齢は卒業します。

それに代わって、買うモノが参考書やレコードや本なんかになるんですね。

モノから幸福感を感じている限り断捨離はできないと思います

年末ということもあり、今日は久しぶりにバイクに油をさしたりして点検していました。

以前も書きましたが、車検証を一時抹消登録したバイクです。

数年前に顔面骨折して整形外科に入院したとき、バイク事故で入院している同室の方々のひどい怪我にショックを受けたためです。

当時は仕事も忙しく、乗る時間もろくに取れませんでしたし。

バイクを売らずに持っている人なんてほとんどいないと思いますが、やっぱりバイクは好きですし、見るとニンマリしてしまいます。

自分はとても断捨離なんてできないなと思います。

これ以外にも、何年も処分できずに取っているものがたくさんありますし。

30代までは曲を作って多重録音を楽しんでいました。

レコーディングエンジニアに憧れて、独学ですがレコーディングの勉強をしていた時期もあります。

数年間音楽リハーサルスタジオで働いたとき、それまでの知識が活きました。

そのようなこともあって、当時持っていたシンセサイザーやデジタルレコーダー、エフェクターなども処分できないんですね。

たま〜に音を出すと聴き惚れてしまいます。

夢の分析は解釈するよりも鑑賞するような態度で臨んでみようと思いました

河合隼雄さんの本を少しずつ読み進めています。

今日は「イメージの心理学」(青土社)と「ユング心理学と仏教」(岩波現代文庫)を読んでいました。

先日ブログに、普段は夢を見ないけれど、上記のような本の夢に関連する部分を読んでいたら、立て続けに夢を見たということを書きました。

夢を解釈することで潜在意識の状態を知ることができるのではないか、と期待したのかもしれません。

なので、心理療法の教育を受けたことはないのですが、河合さんの本の中に解釈する方法のヒントが書かれていないか意識しています。

そんな中、「イメージの心理学」に次のような箇所がありました。

箱庭療法を受けた患者さんが作った作品に、河合さんがなるほどと納得できる解釈を施されたあと、次のように書かれています。

「このような考えは、おそらくあまり間違ってはいないだろう。しかし、このイメージをそのことだけに限定してしまうこと、および、クライエントに対して「自我の確立」という方向性を与えてしまうこと、は大きい危険性をはらんでいないだろうか。」

それに加えて、「その人の極めて個性的な面を見落としてしま」う可能性などの怖さを指摘されています。

そして次のような態度で臨むことを強調されています。