昔に比べて情報は爆発的に増えましたが一人ひとりの時間は増えません

なぜこれほど情報が増えたかといえば、やはりインターネットの影響が大きいです。

スポーツに限ってみても、Yahoo!のような大手サイト以外に個人の方も情報を発信しているので、あるスポーツに興味を持ったときに、インターネットを検索してみると、たくさんのWEBサイトがヒットします。

一昨年、ラグビーのワールドカップで日本が南アフリカに勝利したときは、テレビもインターネットも大盛り上がりでした。

あれ以来、テレビでラグビーの試合が取り上げられることが、グンと増えましたよね。

ラグビーのファンになった人も多いと思いますし、その人たちにとって、テレビ中継を見ながら楽しめる時間が増えたわけですから、その分人生も豊かになったのではないでしょうか。

しかしその一方で、人生の時間は増えません。

本来ならば、何かに使っていたはずの時間を削って、楽しんでいるということになるのでしょう。

糸井重里さんのように、野球が大好きでキャンプに取材に行かれたりする方が、ラグビーも好きになって関係者の方と対談をするというように、仕事もプライベートもさらに充実するのはいいのです。

私のように、睡眠時間を減らしたり、休日を取らないようになって、その挙句体を壊してしまう、というのがよくないのですね。

それほどテレビが子供の人生に影響を与えていたんだと思います

「巨人、大鵬、卵焼き」というくらいですから、テレビのスポーツ中継は、巨人戦の他には、相撲くらいしかなかったように記憶しています。

あとはプロレスですか。

プロレスの方は、私は知らないのですが、力道山の人気がすごかったようですので、プロレス中継も一般化したのではないかと思います。

私が見始めた頃は、ジャイアント馬場やアントニオ猪木でした。

小学生の私たちが、影響を受けて自分達でもやるスポーツといえば、やはり野球になるんですね。

巨人の星などのアニメもやっていましたし、テレビや雑誌では野球についての解説も盛んでしたので、必然的に野球に詳しくなります。

ゲームでさえ、エポック社の野球盤で野球をやっていましたから。

1980年代に、泉麻人さんがコメンテーターを務める「テレビ探偵団」という番組がありました。

懐かしのテレビ番組を紹介するもので、私たちの世代もそれを見ながら「あったあった」と騒いでいたのですが、これほど濃い共有体験をしているということは、子供の生活にテレビがどれだけ深く入り込んでいたかということですよね。

今はスポーツといえば、サッカー、バレーボール、バスケットボール、テニス、最近はラグビーや卓球まで、たくさんの情報に溢れています。

巨人、大鵬、卵焼き・・・メディアの情報は限られていました

私が物心付いたときの記憶には、さすがに「大鵬」と「卵焼き」という印象はないのですが、テレビ中継でスポーツといえば巨人戦のナイターでした。

「巨人、大鵬、卵焼き」であって「野球、大鵬、卵焼き」ではありません。

今の若い人には信じられないと思いますが、昔のプロ野球中継は、ほとんどが巨人戦だったのです。

ということは、巨人の所属していないパリーグは、テレビ放送がありませんので、セリーグのどこかのチームのファンにとって、パリーグなんてほとんど知らなかったのではないでしょうか。

福岡にはパリーグの西鉄ライオンズがありましたので、よく当時の平和台球場に足を運んでいました。

球場がそんなに大きくはないので、選手との距離も近く、今のようにラッパなどの音の大きな応援もありませんでしたので、バットにボールが当たったときの音など、野球をするときのさまざまな音が鳴り響いていたように思います。

先日の記事で、昔の子供は暇だったと書きましたが、なぜ暇だったのかを考えてみると、日常生活をしていて受け取る情報が、今と比べて極端に少なかったんですね。

小学校で共通の話題といえば、テレビくらいしかありませんでした。

GoogleやAppleが自動車の世界に参入するのは楽しみです

私は子供の頃からクルマ好きだったのですが、私の仕事とは関係のない世界でした。

個人的には、特に1970年代あたりまでのクルマに興味があります。

漫画「頭文字D」に出てくるのはカローラレビン、スプリンタートレノの86型ですよね。

私が子供ながらに、かっこいいと思っていたのは27型でした。

オーバーフェンダーなんて付いていたのは、27以外では、GT-R、240Z、GTOのGSRくらいですよ・・・。

当時のガソリンエンジンやサスペンションなどの技術と、私たちのIT業界との接点なんて、全然ありませんよね。

しかし近年、GoogleやAppleのようなITの大企業が、クルマの世界に参入してきました。

前回までにお話したように、時代に必要とされるクルマの技術とIT企業の技術に、重なる部分が出てきたのでしょう。

クルマとインターネットの連携はますます進むでしょうから、IT企業の得意分野が、一台のクルマの中に、大きな部分を占めるようになって行くと思います。

もちろん、今すぐ私たちのような小さな会社が、クルマに搭載されるアプリなどを作ることはないでしょうが、とても興味深い変化だと思っています。

若者のクルマ離れは理解できます

自分の生活にはクルマの必要性を感じなかったこともあり、若い人たちがクルマに興味を示さない理由は分かるつもりです。

自動車メーカーも、若い人たちにクルマに乗ってもらおうと、あの手この手を使って宣伝しているようですが、クルマにステータスを求めたり、経済が右肩上がりだったり、という時代ではないですから、クルマ離れを止めるのは難しいのではないでしょうか。

昔あれほど車種の多かった、マニュアルミッションの2ドアクーペなんて、今では数えるほどしかありません。

しかし、日本は昔からモータースポーツが盛んな国ですし、クルマ好きの若者も一定数存在し続けるとは思います。

テレビ東京系列で放送されているスーパーGTって、妙に盛り上がっていませんか。

GT-Rとかレクサスとか、レース仕様車かっこいいですよね。

一方で、クルマ好きではなくても、クルマがないと生活に支障をきたす方も多いです。

私の親戚に、80代後半の叔父さんがいるのですが、今でもクルマに乗っています。

家が高台にあり、叔母さんが足が悪いので、どうしても必要なのだろうと思います。

クルマのない高齢者は、公共交通機関に頼らざるを得ませんが、電車やバスの路線廃止という問題もあります。

クルマ好きなのにクルマのない生活を送っていました

私は大学から東京に行き、福岡に戻るまでの十数年間、ついにクルマのない生活を送りました。

上京したときは、バンドなど音楽に夢中でしたので、お金があれば楽器などにつぎ込んでいました。

バブル当時は、私が住んでいた練馬でも、駐車場代が月5万円くらいだったように記憶していますし、都内に住んでいれば、鉄道でどこでも行けましたので、クルマは必要ありませんでした。

連休で福岡に帰省して、中学校時代の同級生に会うと、トヨタ マークⅡのような大きなクルマを乗り回しているんですよね。

福岡にもバスや鉄道はあるじゃないかと思ったのですが、今考えると、彼らは仲間とつるんで、クルマで遊んでいたのではないかと思います。

実は、東京での生活をやめて福岡に戻ってきたとき、一時期ミニクーパーに乗っていました。

キャブレターの1000ccで、ハンドリングはクイックで、モスグリーンで、ユニオンジャックのグリルバッジを付けて・・・、本当に楽しかったです。

あちこちドライブしていました。

しかし、仕事で使っていたかというと、全然それはありませんでした。

打ち合わせに行くときは、バスや地下鉄を使う方が便利なんです。

クルマは若い人の生活に密着していたように思います

団塊の世代の親戚の叔父さんが、若い頃カローラに乗っていて、よく私の実家に遊びに来ては洗車していました。

初代の1100CCだったと記憶しています。

私が小学生の頃、そのクルマに乗せてもらって、当時ブームだったボウリングに連れて行ってもらいました。

中学生、高校生になると、近所の20代のお兄さんたちも、トヨタ カリーナのようなスポーツタイプの中古車を持っていましたので、当時の若者の生活には欠かせないものだったのではないでしょうか。

私もクルマには興味がありましたので、自動車雑誌に掲載されているスカイラインやフェアレディZなどを見ては、大人になったらどれを買おうかな、と夢見ていたものです。

小学生の頃、少年ジャンプに連載されていた「サーキットの狼」のトップページに、名車シリーズのようなコーナーがありました。

あるとき、トヨタ セリカ 2000GTが、排ガス規制のために最後の200km/hカーになる、ということが書いてあり、「今すぐ買いに行かなければ!」と本気であせった記憶があります。

月のお小遣いが、確か500円くらいだったと思います。

クルマの自動運転技術が話題になっています

昨年の年末のニュースですが、ホンダとGoogleが自動運転技術の開発で提携することが発表されました。

「自動運転車」と呼ぶそうですが、トヨタや日産も実用化に向けて開発が続いているようです。

ハイブリッドシステムのトヨタプリウスから始まって、電気自動車の日産リーフなど、エコカーの開発競争が続いていたと思ったら、今度は自動運転車の開発競争に移ってきているようです。

クルマは私たちの生活に欠かせない道具ですが、それだけに、その使い道や消費者の要望が、時代によって変わってくるのは当然なのでしょう。

私が物心ついた頃には、実家に自家用車がありました。三菱自動車のミニカという軽自動車です。

両親は共働きでしたし、私を保育園に送り迎えするのに必要だったのだと思います。

それでも当時は、各家庭に自家用車がある時代ではなかったのではないかと思います。

私が通っていた高校は、福岡市の西新という場所にあったのですが、そこには国鉄筑肥線という鉄道が走っていました。

私は自転車通学でしたので、どれだけの方が利用されていたのかは分かりませんが、まもなく地下鉄の開通とともに、博多駅までの区間が廃線になりました。

想像の世界に遊ぶ時間の重要性も忘れないでいて欲しいと思います

何回かにわたって、小学校でプログラミング教育が必修化されることと、それに伴い、子供たちは更に忙しくなるのではないかということを書いてきました。

自分もそうですが、プログラミングをして疲れたら、つい、だらだらとネットサーフィンをしてしまうことがあります。

そのようにして、一日中パソコンの前から離れない子供も出てくると思います。

精神科医の泉谷閑示さんという方が、人間の「頭」はコンピュータ的で効率を求めるのに対し、「心」(=「身体」)は生き物なので、「頭」が「有意義」の名のもとに効率を求め続けると、「心」(=「身体」)は反逆を始める。それが「うつ」の状態である、ということを仰っています。
http://diamond.jp/articles/-/2553

まさに、私がパニック障害になってしまった原因なのではないかと思います。

辰濃和男さんの「ぼんやりの時間」(岩波新書)という本があります。

いろいろな例をあげて、ぼんやりと過ごす時間の大切さを書かれていて、私の好きな本です。

プログラムを書いているとすぐに時間が経ってしまいます

私の場合は、プログラミングといっても、Excelマクロのようなアプリのスクリプトであったり、HTMLのタグであったり、簡単で規模の小さなものです。

それでも、書式を調べたり、エラーを取ったりしていると、すぐに半日や一日が過ぎてしまいます。

小学校で行われるプログラミングの授業が、どういうものになるかは分かりませんが、自主的に何かを調べるとなると、やはりとても時間がかかるのではないでしょうか。

もちろん、プログラミングがつまらないと思う生徒は、自宅に帰ってまでやらないと思いますが、さすがにそれでは授業でやる意味はないでしょうから、とても面白い教材が与えられるのではないかと思います。

私の悪い癖なのですが、インターネットを使って前述した調べ物をしているとき、関係のないことを思いついて、それについて調べてしまったり、ついYahoo! JAPANを開いたりしてしまいます。

そんなことをするから、すぐに時間が経ってしまうんですよね。

子供たちは、ただでさえテレビゲームやSNSや塾などで忙しいのに、パソコンでの作業が加わったら、さらに暇な時間というものを経験しなくなるのではないでしょうか。